17歳の君と、17歳だった僕へ

17歳のあの頃、こんな風に考えることができていれば・・・。自分と、自分と同じような思いを抱えた人へ向けたブログです。

さびしさと掃除の関係

僕は小さい頃からずうっとさびしかった。今はさびしいという感覚はほとんどない。

 

「さびしい」という感覚から遠ざかってから結構な時間が経ってしまった今、 その頃のことを思い出すのはなかなか難しい。 一つ言えるのは、今の僕は他人に全く期待していないということだ。

 

無条件に自分のことを分かって欲しいとか共感して欲しいという感覚はない。もし、今の僕が自分のことを他人に理解して欲しいと思ったら、それなりに手間と時間をかけ、伝え方を工夫する。 さびしかったころは、そういう手間暇をかけずに、「自分のことを分かってくれ!」 というなかなかに無茶なことを考えていた。

 

あの頃は感情がかなり不安定で、不安感や焦燥感にもしょっちゅう襲われていた。 人から怒鳴られたりした後の、あの胸の冷えるような感覚がずっと続く感じだ。

 

学校の勉強とか資格試験とか海外旅行とか、そういったことに前向きに取り組む エネルギーはどこからもでてこず、学校や職場のいすにじっと座っているだけで 精一杯だった。 そんな僕の態度は、僕のことをよく知らない人からするとただのやる気のない人間という風に写ったらしく、学校の同級生、バイト先や職場の人間から反感を買うことはしょっちゅうだった。

 

「他人に僕のことは分からないんだ」

 

そんな風に思い込んだ僕は自分の殻に閉じこもり、他人との接触を極力減らすように努めた。そのくせ、「他人にかまって欲しい」という気持ちは 強く、それが得られないさびしさにひたすら耐えていた。

 

転機は意外な形でやってきた。

 

ある日、友達の家に遊びに行ったときのこと。


友達は部屋の掃除をし終わった後で、部屋の窓と玄関のドアを開け放して空気を入れかえていた。部屋に通された僕は、風が部屋の中を通っていくのを肌で感じた。

 

瞬間、僕の胸をきつく締め付けていた何かが緩むのを感じた。

 

そのとき、以前、清潔な部屋に住んでいる友人の家に遊びに行ったときにも 同じ感覚になったことを思い出した。

  

「もしかして・・・」

 

しばらくしてから僕は自分の部屋を片付け、掃除をすることにした。

 

僕の部屋は、モノで溢れかえっていた。

 

大量の難解な書物。高校生の頃から買い続けてきたCD。 お気に入りのラジオ番組を録音したカセットテープ。 着なくなった洋服。人からもらったぬいぐるみ。大量の百円ライター。 勉強しようとして挫折したTOEFLTOEICの参考書。小学校~大学時代の教科書、参考書。スチールラック。ガラス板の三段棚。リクライニングチェア。 折れた傘。よく分からない機械部品。使っていない食器。その他もろもろ。

 

これら、大量のモノが6畳の居間と押し入れと玄関にギュウギュウに詰まっていた。

 

僕はモノを処分するという作業に集中し、数ヶ月の時間をかけて、自分が持っていたモノをほとんど捨てた。本やCDや棚はリサイクル店に持ち込んで、 二束三文で売り払った。

 

さらに、押し入れの奥や部屋の隅にたまっていたほこりやわたごみ、小さい虫の死骸などを掃除し、水拭きできるところは水拭きしていった。

 

そして、木の柱と畳をオイルをしみこませたぞうきんで磨いていったのだ。

 

全てが終わったとき、季節は秋になっていた。

 

僕の部屋には涼しくて気持ちのいい秋の風が通り抜けるようになっていた。

 

「部屋の中って風が通るんだ」

 

僕はモノがほとんどなくなったからっぽの部屋の中で、生まれてはじめて感じる深い安堵感に包まれていた。