17歳の君と、17歳だった僕へ

17歳のあの頃、こんな風に考えることができていれば・・・。自分と、自分と同じような思いを抱えた人へ向けたブログです。

ストックからフローへ

さきほどから頭の中を、ある考えが巡っている。その考えを実践する意味でもその考えを書いておく。

 

きっかけは本屋に売っていた『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』という本を立ち読みしたことだった。

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

 

モノを持たない生活を志向する人が増えているようで、こういった類の本を数年前からよく見かけるようになった。僕自身も個人的なある体験をきっかけにして、部屋にあったガラクタや本、服、家具などを大量に処分した経験がある。数ヶ月かけて片付けが終わったあと、部屋の中を風が通っていった瞬間は僕の人生の中で最高のものの一つだ。

 

空っぽになった部屋に身を浸しながら僕は興奮していた。どうやっても生きる気力が湧いてこなかった僕に、身体の内側からエネルギーが湧いてでてきて、いろいろなことにチャレンジしたくなったのだ。

 

実際、僕はこの片付けのあと、様々なスポーツやイベント、飲み会に参加するようになった。そうやって人生が好転して今も幸せに生きているならめでたしめでたしなのだが、僕の人生を司っている運命の神様はそれほど甘くはなかった。

 

ある重大な勘違い

 

僕はモノを片付けることによって起こった変化について、思い違いをしていた。

 

僕はこう考えていた。

 

「モノが少なくなったことによって、雑多な視覚情報にさらされずに済む。挑戦して挫折した英語、経済学、歴史、哲学、宗教の本を常に目にして気が散るのを防ぐことができる。このことによって、今まで無駄遣いしていたエネルギーを集中させることができるのだ。人間関係や仕事も同様で、付き合う人間ややらなければいけない仕事を可能な限り減らし、自分にとって大切なものだけを残すことによって、目の前の仕事に集中しパフォーマンスを向上させることができる」

 

この考え方を極端に実行すると、自分が付き合う必要がないと判断した人間を無視するようになり、やらなくてよいと判断した仕事をしなくなる。

 

僕はこのようなスタンスで数年間生きてきたわけだが、心の片隅でいつも釈然としない想いを抱えていた。

 

「人生ってこんなもんでいいんだろうか。『この人と付き合いたくないな』と思いながら、表面上会話をあわせて無駄に疲れていたときの方が、人間らしかったような気がする」

 

フローの哲学

 

断捨離をうたった類の本を読んでそれを実行し、僕と同じような想いをもつにいたった人は考えを少し変えてみてはどうだろうか。

 

つまり、モノやガラクタを捨てて整理整頓するのは結構だが、同じことを人間関係や仕事に直接適用しようとしてもうまくいかない、ということだ。

 

僕と同じ勘違いに陥るのはやめよう。

 

部屋がスッキリ片付くことによって起こった現象は、余白が増加し、多くのモノがフローできる状態になったということだ。これが人間に幸福感をもたらし、身体の内からエネルギーを湧き出させる。

 

つまっていた水路のゴミを取り除いたことによって、水が勢いよく流れ出すことをイメージしてもらえればいいだろう。

 

話を具体的にする。例えば人間関係について。断捨離を人間関係に適用し、自分にとって都合の悪い人間を人間関係から排除し、自分の好きな人とだけ付き合うのはよくない。部屋を片付けることによって起こった現象は、多くのモノがフロー、流動できる状態になったということだ。だから、人間関係について断捨離を適用するのであれば、多くの、そして質の高い人間がフロー(流動)していくにはどうすればよいか、という風に考えなければならない。

 

そのために実行することは、自分にとって都合の悪い人間との付き合いをやめることだけではなく、多くの、多様で、質の高い人たちとつながりができ、しかも付き合いが続くための工夫である。この膨大な人間のフローは人生に良い変化をもたらすに違いない。

 

次に仕事。面倒な仕事だから、要領よく切り抜けようとか人に押し付けようなどと考えてはならない。より多くの、多様で、質の高い仕事が自分自身を通過していくためにはどうすればいいのか、と考えなければならない。

 

こういう風に考え始めると、「人からお願いされた面倒な仕事だけどやってみる。その代わり、自分が困ったときにはその人に仕事をお願いしてみる」という発想をするようになる。

 

僕が考えるにこれが断捨離やミニマリストの志向するところの正しい捉え方だ。

 

情報との付き合い方

 

インターネットや本との付き合い方も考える必要がある。僕は今まで、インターネットや本から知識を取得することを考えていた。そうして蓄えられた知識が長い年月を経て発酵し、他の人にはできない多様なものの考え方を可能にしてくれる、そう考えていた。

 

しかし、大切なのはストックすることではない。あくまでもフローさせることである。大量の、多様で、質の高い情報をフローさせるにはどうすればよいか、と考えることが大切だ。

 

そのために必要なのが、アウトプットである。このアウトプットも、TEDのようなプレゼンテーションやピュリッツァー賞を受賞するような本だけをイメージしてはいけない。質の高いアウトプットを意識してしまうと、アウトプットをすることに躊躇するようになるからだ。

 

イメージすべきは、「適切なごみ捨て」である。

 

自分の頭の中にある知識やアイデアをとりあえず出してしまう。言葉にしてもいいし、カタチにしてもいいだろう。そうすることによって、頭の中を空っぽにする。そうして、次の情報が流れやすい状態をつくるのだ。

 

この「適切なごみ捨て」をするために効果的なのは人に話したりすることだが、自分の知識やアイデアを話すに足る人物が常に身近にいることは期待できない。相手も何の脈絡もないことをいきなり話されて迷惑に思うことだろう。

 

日記やブログに書き殴り、そのままさっぱり忘れるような感じがいいかと思う。

 

お金の使い方

お金の使い方も同じように考えたほうがいいと思う。そう考えるとケチは多大な害悪を引き起こすだろうことが想像つく。ケチは決してお金のフローを発生させないからだ。お金がどんよりと溜まって濁っていく様子をイメージすることができる。

 

そうではなくて、可愛い後輩におごってみたり、自分がどうしても欲しかったものを買ってみたり、自分の行きたかった国に旅行してみたりする。お金はなくなってしまうが、お金を効果的に使った結果が次のお金をきっと呼び込んでくれることだろう。

 

 

以上はあくまでも僕の個人的な考えである。しかもこれから実践しようとしている考え方だ。しかし、このストックからフローへ、という観点に立てたことによって、僕の中身はかなりスッキリし、元気が出てきたのである。

 

これを読んだ人の一助になればいいと思う。